デビュー前にティンバランドとS.B.I.を結成。 ファレルは地元のスタジオに出入りしていた頃ニュージャックスウィングの大御所テディー・ライリーの目にとまり、プロデュースのいろはを学んだ。1990年代に入ると、少年の頃から友人だったチャド・ヒューゴと共にプロデューサーグループであるザ・ネプチューンズ(The Neptunes)を結成する。1997年、ネプチューンズはN.O.R.E.の「スーパーサグ(Superthug)」をプロデュースし、全米チャートBillboard Hot 100の36位に送り込んだ。この曲の独特の音楽性は「ネプチューンズ・サウンド」と呼ばれ2人は世界から注目を浴びるようになる。その後ネプチューンズ・サウンドはヒップホップシーンを席巻、多くのヒット曲を生み出し1990年代末から2000年代初頭にかけてポップミュージックの世界を一変させる。
2001年、ネプチューンズがプロデュースしたブリトニー・スピアーズの「アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー(I'm a Slave 4 U)」が世界各国で好調なセールスを記録し、ネプチューンズにとって初めての世界的ヒット曲となる。同年、ネプチューンズの2人に友人のシェルドン・ヘイリー(Shay Haley)を加えた音楽グループN*E*R*D(ナード)を結成し、1stアルバム『イン・サーチ・オブ(In Search Of)』をリリースする。
2002年、ネプチューンズがプロデュースしたネリーの「ホット・イン・ヒア(Hot In Herre)feat. Dani Stevenson」が全米1位を記録する。
2004年、ネプチューンズは第46回グラミー賞で最優秀プロデューサー賞(ノンクラシカル)と最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞(ジャスティン・ティンバーレイク『Justified』)を受賞する。同年、N*E*R*Dは2ndアルバム『フライ・オア・ダイ(Fly Or Die)』をリリース。その後ヴァージン・レコードと契約で揉め、翌年事実上の活動停止となる。5月にはネプチューンズがプロデュースしたGwen Stefaniの「ホラバック・ガール(Hollaback Girl)」が4週連続全米1位を記録する。12月にはネプチューンズがプロデュース、ファレルがフィーチャード・アーティストとして参加したスヌープ・ドッグの「ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット(Drop It Like It's Hot)」が3週連続全米1位を記録する。
2005年、ソロ名義でシングル「キャン・アイ・ハヴ・イット・ライク・ザット(Can I Have It Like That)feat. Gwen Stefani」をリリース。
2006年、ソロ・アルバム『イン・マイ・マインド(In My Mind)』をリリースする。7月にはネプチューンズがプロデュース、ファレルがフィーチャード・アーティストとして参加したLudacrisの「マネー・メイカー(Money Maker)」が全米1位を記録する。
2014年、第56回グラミー賞では最優秀プロデューサー賞ほか、計4部門で受賞を果たした。3月、8年ぶりとなるソロ・アルバム『ガール(G I R L)』を発表する。リードシングル「ハッピー(Happy)」は10週連続全米1位、22ヶ国で1位を記録。人々が曲に合わせて踊るPVは、2014年4月までにYouTubeでの再生回数が2億回を超え、世界各地で派生バージョンが作られるなど、ブームを巻き起こした。